僕の父は、僕が小学校の高学年辺りからあまり働かなくなった。
子供だった僕が見てもわかる程の「アルコール依存」。
通院する事はなかったけど、「鬱病」も患っていたと思う。
毎晩毎晩飽きもせず、「酔っては暴れの運動会」な日々だった。
僕の母は、夫(父)の「失った経済力」を賄う為、夜はスナック経営の為に家を空ける。
僕や兄という息子達から「父の醜態」を聞いてはいるが、母には「夫(父)を壊してしまった」という罪悪感からなのか、父に強く言う事はしなかった。
しかし、母も人間だ。
日々の苦労もあるだろう。
日に日に溜まっていく「思い」もあるだろう。
いつからか、僕の父と母は「冷戦状態」に突入した。
今回はそんな「両親の不仲に挟まれていた頃」の話。
目次
父の不満。 信用出来なくなった妻(母)
僕の父は、1日の大半を飲酒で費やしていた。
そして毎晩、22時〜23時辺りの良い感じの時間帯になると「ひとり運動会」を開催したのだった。
そのくらいの時間になると、僕の部屋の隣にあるリビングから「父による選手宣誓」が聞こえてくる。
「うらけんらぁねぇーよ!!(ふざけんじゃぁねぇーよ)」
今宵も熱いシャウトが虚しくこだまする。
この「(呂律の回っていない)選手宣誓」を皮切りに、深夜2時頃まで「ひとり運動会」が開催される。
何をしているのかはわからないが、リビングからは「ドタバタ」大騒ぎな物音。
かと思えば、応援団長もビックリする様な「(父自身への)熱い声援」が響き渡る。
彼なりの「不満」や「不安」を紛らわせる為の「ひとり運動会」なのだと思う。
何がそんなに「不満」なのか、「不安」なのか。
実際に聞いた事は無いけれど、大体想像がつく。
原因は母だ。
僕の母は、過去に不倫をした事がある。
父が働かなくてなってから少し経った頃、「母の不倫」が発覚した。
僕がまだ幼かったからか、「どういった経緯での発覚」とかって詳細は聞かされていない。
断片的な情報から、僕は「こうだったんだろうな。」という程度の推測しかしていない。
当事者の「父と母」以外に、「兄」も詳細を把握していたみたいだった。
というか、これまた推測なのだけど、「母の不倫の証拠」を見つけたのは兄だったっぽい。
まぁ、経緯なんかは知らないけど、「母の不倫」自体は事実な様だ。
「母の不倫」は、父にとっての「トドメの一撃」になったのだろう。
「いい加減、働かなくては。」
父がそう思っていたかはわからないけど、「現状のままでは良くはない」事くらいはわかっていただろう。
だけど、父は動けない。
アルコール依存のせいなのか。
鬱病のせいなのか。
父の気質のせいなのか。
まぁ、全部だろう。
これらのせいで、「現状を変えなくては。」と考えてはいても、行動に移す事が出来ずにいたのだと思う。
そんな「モンモンとした日々」に、「母の不倫」の発覚というトドメの一撃が入る。
父は「この事」で完全に動けなくなり、より一層、酒に溺れる様になった。
そして「母の不倫」は、父の心をかき乱す「もうひとつ」の要因を作った。
母はスナック経営の為、夜間は家を空ける。
と言うか、ほとんど家には居なかった。
僕の目線では、「店開けてたり、準備だったり、その辺でしょ。」って感じだ。
だけど、父の目線では「そう」は映らなかったらしい。
父から見れば、妻(母)は不倫の前歴者だ。
ただでさえ「スナック経営」という仕事は、「男性と接する機会の多い」仕事だ。
「帰りが遅いのは、店が忙しいからだろう。」
そうやって、「妻(母)を信じて待つ」事が出来なくなったんだと思う。
毎晩響き渡る「ふざけんじゃぁねーよ!!」という熱いシャウト。
「現状を変えよう」と動く事の出来ない自分の不甲斐なさ、焦り。
「裏切られた!」という妻(母)への怒り。
信用して妻(母)の帰りを待つ事が出来ない思い。
あの「熱いシャウト」には、これらの思いがギュウギュウに詰め込まれていたんだと思う。
まぁ、僕の推測だけどね。
母の頑張り。 魔が差したあやまち。
僕が小学校に入りたての頃、父の仕事の都合で県外への引越しをする事になる。
この「引越し」によって、母の負担はかなり増えたと思う。
あの時期、1番「苦労」したのは母だろう。
新たな環境での生活。
その中で、まずは兄が不調になった。
兄は新しい「環境」や「学校生活」に馴染めず、不登校気味になった。
そんな兄のケアの為に、母は兄を遊びに連れて行ったりと色々と手を焼いた。
母はその頃、いわゆる「専業主婦」だった。
慣れない土地での専業主婦という生活。
母も兄と同じく、近くに友達はいなかったのではないかと思う。
パートでもしていれば、職場で交友関係を築けるんだろうが、当時の母には「それ」も無い。
あの引越しは「母にとっても」ツラいモノだったと思う。
その間、夫(父)は、「一生懸命」働いていたかというと、必ずしも「そうではない」と感じる。
父には「サボり癖」という悪癖があった。
まぁ、チョイチョイ仕事を休む人だった。
父自身は「一生懸命働いた」上での行動かもしれない。
だけど母にとって、仕事をズル休み?した夫(父)の「昼間から酒を飲んでいる姿」は、見ていて気分の良いモノではなかっただろう。
当然、夫(父)が仕事を休めば、その分の給料は減る事になる。
「経済的負担」という負荷までが母にのしかかる事になった。
初めは「やりくり」という形での家計の対処だったんだと思う。
そんな状態が数年続く。
そして、兄のストレスの吐口が見つかり不調が治っていき、僕も小学3年か4年生辺りまで成長した。
「もう大丈夫だろう。」と判断したのか、家計が限界になったのか、母はパートで働き始めた。
母はパート先で交友関係を広げた様だった。
それは良い事だったと思う。
しかし、母のパート収入と反比例し、父の収入は減っていった。
そこで母はパートを辞めて、「スナック経営」を始める事にした。
「スナック経営」と言っても、従業員は母ひとり。
小さな店の「ママ」になった程度のモンだ。
母にとっても、「スナック」で働く事、「自分の店」を持つ事に、「憧れ」というか、やってみたい事だったみたいだ。
僕が中学生になった頃か、父は「完全に」働かなくなった。
収入は「全て」母頼りになる。
母の店は、あまり繁盛している様には見えなかった。
母は「店」に関しても苦労していただろう。
疲れて帰って来れば、夫(父)は寝てるんだか、酒を飲んでるんだか、「ふらっ」と散歩に出ているんだか。
まぁ、不倫のひとつでもしたくなるわなw
母が「どのタイミング」で不倫を始めたのかはわからない。
パートに出て交友関係が広がったタイミングか。
「スナック経営」の最中なのか。
ただ、不倫が発覚したのは、父が「完全に」働かなくなった頃だった。
余談なのだけど、僕が大人になり、母に「カーさんが不倫した相手って、どんな人なの?」と聞いた事がある。
「どこで知り合った?」とかは聞かなかったのだけど、「警察官で、SPをやっている人だ。」と聞いた。
僕はその頃、岡田准一さん主演の「SP 警視庁警備部警護課第四係」というドラマにドハマりしていたので、テンション爆上げだったのを覚えている。
夫(父)に強く言えない母。 それは「愛情」なのか、「罪悪感」なのか。
母の不倫が発覚した後、我が家の状況は少しずつ変わっていった。
僕には父が「酒に溺れる事」について、「正当化」している様に見え始めた。
不倫発覚「以前」から、父は毎晩「酒に酔っては暴れる」を繰り返していた。
それが、不倫発覚「後」になると、暴れ方に「吹っ切れた感」が出てきた様に見えた。
「俺は裏切られたんだ!」
「この怒りは正当なモノだ!」
僕にはそんな「叫び」に聞こえた。
あくまで、僕が「そう」感じた。という話。
だけど、その頃の僕は「母の不倫」を知らない。
後に「母の不倫」があった事を聞き、断片的な情報を整理して「あぁ、発覚したのって、あの頃だったのかなぁ。」と。
そんな僕が「感じたモノ」だったのだから、おそらくは「全くの妄想」ではないだろう。
父のアルコール依存による「醜態」が続き、遂に状況が動き出した。
「両親を離婚させよう。」
息子達(僕と兄)が「両親を離婚させる為」に動き出した。
息子達(僕と兄)が結託したのだ。
僕が「兄からの命令」ではなく、「僕自身の意志で兄と手を組んだ」のは、これが最初で最後だった。
「動き出した」といっても、具体的には「母への交渉」だ。
母が直接見ていない「父の醜態」を、ひたすらにプレゼンしていった。
「トーさんは、カーさんが居ない夜間、こんな事になっているだ。なんとかしてくれ。」
ではなく。
「アイツ(父)が居ると、こんな不具合が生じる。離婚して実家に送り返せ!!」
こんなプレゼンをしていった。
父はあの頃、明らかに「病んで」いた。
そんな父に「病人を足蹴にする」様なマネをする息子達は、「親不孝」や「非道」といったモノだろう。
しかし、僕も限界だったんだ。(兄は知らんけど)
父が酔って暴れている間、僕は睡眠なんて取ってられる状況じゃない。
夜中の2時や3時、父が大人しくなった後は、父の「介護」が待っている。
そんな話も書いてるんで、よかったらどうぞ。
今思えば、「父の介護」なんて放っておけばよかった。
だけど、当時の僕は「我が家の優等生」でなくてはいけなかった。
「ぶっ壊れている父を放置して、自分は寝ている」なんて事は許されないんだ。(と考えていた)
そんな「環境」では、家で学校の「予習、復習」なんて出来たモンじゃない。元々やる気はないけど。
そんな「環境」で生活では、学校でまともに授業を受ける「体調、精神状態」ではない。マジメに受ける気もないけど。
僕や兄が「やった事」は、「病人を足蹴にする様な行為」だ。
酷い事をしたと思っているし、正当化する気も無い。
っつうか、「正当化」とかどうでもいいから、とにかく「夜」くらい静かに寝たいの!!
そんな思いを丁寧に「プレゼン」したんだ。
「この思い、どうかカーさんに届いてくれ!」
「カーさんだって、トーさんが居ない方が楽出来るんだ!」
母「トーさんも大変だから、我慢してあげて。」
僕と兄の思いは、母には届かなかった。
「届いていた」のかもしれないけど、「行動をする」そぶりはなかった。
離婚はモチロン、父を実家に送り返す事はなかった。
僕と兄の知らないところで、父と母は話し合いをしたのかもしれない。
だけど、僕達の生活に「良い」変化はなかった。
母は父に「何かを言った」のかもしれない。
だけど、「強く」は言わなかったと思う。
父の生活は変わらない。
仕事はしない。
毎晩酔っては暴れる。
「父用の酒」を常備する事も続いた。
「せめてもの癒しを」という、母から父への愛情なのか。
「自分が夫(父)を壊してしまった」という罪悪感からなのか。
そんな風に「父を守る」姿勢でいた母だったけど、「そんなモン」で我が家の状況が良くなるわけがない。
我が家の状況は、徐々に「より悪い」方へと進む。
当然、母の負担も増えてくる。
母は「愛情」なのか「罪悪感」からなのか、「父を守る」姿勢を取ってきた。
しかし、母も「嫌気」が差してきたのだろう。
父と母の間には、喧嘩や小競り合いが頻発していった。
そして、父と母の間には「冷戦状態」が勃発した。
冷戦状態な両親。 不仲な両親に挟まれて。
まずは、「冷戦状態」に入る前の話。
父と母の「言い争い」や、時には「掴み合い」の喧嘩をしている姿を目にする事が多くなった。
当時の僕は、「母の味方」の立場だった。
我が家の家計の為に働く母。
酒を飲んでは暴れる父。
このふたりを見ていれば、当然の結果だと思う。
後に「母の不倫」を知っても、この気持ちは変わらなかった。
両親の「掴み合いの喧嘩」を目撃すれば、僕は仲裁に入る。
まぁ、基本的には「母の味方」だ。
「掴みかかった父の方を引き剥がす」といった感じ。
そんな僕は、1回だけ父をブン殴った事がある。
「ブン殴った」とはいっても、「クリーンヒット」した手ごたえは無い。
ただのカス当たりだった。
しかし、父は呆気なく崩れて落ちた。
「人は、こんなに簡単に壊れるのか…。」
僕には「簡単に壊れてしまう」という「恐怖」からのリミッターがかかった。
しかし、兄には「リミッター」がかからなかった様だ。
兄の「仲裁」は、僕が見ても「ドン引く」モノだった。
あんなに簡単に崩れ落ちた父に、兄は容赦なく「当てて」いった。
僕は「その辺」の恐怖から、そのうち「仲裁する事自体」をやめた。
「気が済むまで、おやりなさいな。」
「ニーさんを怒らせても知らんよ?」
そんな立ち位置を取る事にした。
僕はある程度の「無関心」でいる事にした。
そうしていると、いつの間にか、父と母の「言い争い」や「掴み合いの喧嘩」が無くなっていった。
おそらく、「兄がヤバい」事に気が付いたのだろう。
父と母は「正面からぶつかる」事を避ける様になり、代わりに「徹底して避け合う」様になった。
我が家の「冷戦状態」である。
父と母は、お互い「表面上」は干渉しなくなった。
しかし、同じ家で生活する以上、何かしらの連絡事項が出てくる。
そんな時の便利な存在のチッタだ。
「〇〇はどこだ?」
「〇〇に置いた。」
「〇〇までは買ってこれないから、〇〇で代用して。」
父と母が直接伝えれば5秒で済む連絡。
そんな事も「チッタを経由」して連絡し合う様になる。
めんどくさがりながらも、僕は「我が家の潤滑油」としての仕事をこなす。
そして、「連絡事項」だけならまだしも、「お互いの気に入らない部分」までを僕に話す様になった。
おそらく父と母は、僕に「ガス抜き」のつもりで「愚痴」をこぼしていただけなのだろう。
しかし、父と母は、チッタを過大評価し過ぎていた。
チッタは「空気を読む」事が苦手なのだ。
お互いの「アイツのここが気に入らない。」という「愚痴」。
今は「学習」していった為、ただの「愚痴」だとわかる。
しかし、当時の僕は、それが「愚痴」なのか「連絡事項」なのかがわからない。
「愚痴」だとわかれば、自分の胸の中に仕舞っておけば良かったのだろう。
「愚痴」なのか「連絡事項」なのかがわからない僕が取った行動。
それは、「録音」と「再生」のふたつのみ。
僕は「父の愚痴」をそのまま母に伝えた。
僕は「母の愚痴」をそのまま父に伝えた。
まぁ、大炎上ですわw
「我が家の潤滑油」だったはずの僕は、「戦火を拡大する火燃料」になった。
争いの道具にされた子供。 傷付いていく子供の心。
空気の読めない僕は、両親から聞いた愚痴をそのまま相手に流し、戦火を拡大していった。
誰だって、「相手が自分を悪く言っている」のを耳にすれば、良い気分はしないだろう。
父と母は、お互いへの怒りを募らせていく。
ただの「愚痴」だったモノが、次第に「相手への攻撃」に変わっていった。
空気の読めない僕だったけど、2回程「あ…。」ってなった事がある。
母の不倫
僕が「母の不倫」を聞いたのは、父からだった。
いつもの様に父に呼び出された僕。
トーさん「あんなに一生懸命働いたんだけどなぁ…。その結果がカーさんの不倫だよ…。ふざけんじゃねーよ…。」
父が「ポロッ」と出した発言で、僕は母が不倫していた事実を知った。
因みに、読みやすい様に「清書」しているが、モチロン呂律は回っていない。
「そっか、トーさんは、カーさんに不倫されて怒っているんだね。」
「まぁ、カーさんも不倫のひとつでもしたくなるわな。」
こんな話は母に伝える必要は無い。
しかし、頭のネジが飛んでいる僕は、そのまま母に伝える。
「OK。伝えればいいのね?承りました。」
「母の不倫」を聞いた僕は、特に「ショック」を受けなかった。
「こんな茶番に付き合わすなよ、めんどくせえなぁ。」といった感じ。
むしろ、「あぁ、あれってそういう事だったのか!」って「謎がひとつ解けた!」ってスッキリした。
つまるところ、僕は「母の不倫」を、然程「重要視」していなかった。
父からの「愚痴」を「連絡事項」だと勘違いしたのは、そんな理由もあったからだろう。
チッタ「カーさんや。トーさんが、カーさんがした不倫が気に入らないってさ。」
その時の母の顔は今でも覚えている。
そりゃあそうだ。
自分の過ちを「息子を使って」咎められたのだ。
「悲しみ」の様な、「怒り」の様な、僕の言葉では表現出来ない顔をしていた。
「あ…。」
さすがの僕も、「これ」は伝えてはいけないモノだったのだと気付いた。
僕は「仕事をこなした」だけのつもりだった。
しかし、僕の意志とは無関心に「母を傷付けた」事を理解した。
父への兵糧攻め
これは「愚痴」とは違うんだけど、「両親の不仲」に巻き込まれた話。
僕が幼い頃は、母は毎日手料理を作ってくれた。
それが、「両親の冷戦状態」に入った辺りから、僕達の食事は「コンビニ弁当」や「スーパーのお惣菜」なんかが増えていった。
それは別に構わなかった。
問題なのは、「父の分」を用意しなかった点だ。
カーさん「お弁当買ってあるから食べてね。」
チッタ「おk。」
コンビニ弁当が置かれた場所を見ると、コンビニ弁当は「僕と兄の分」しか置かれていない。
父は酒を飲むと、一切の「固形物」を胃に入れない。
どれだけ「何かツマめ!」「胃に入れろ!」と言っても食べない。
常に酒を飲んでいる父だ。
僕は「父は食事を必要としていない。」と本気で思っていた。
そんなわけはないんだけどねw
つまりこれは、母から父に対する攻撃だ。
「息子達(僕と兄)の食事は用意するが、アンタ(父)に食わせる飯はねえ!!」
といった「兵糧攻め」だ。
前記の通り、僕は「母の意」を全く理解していなかった。
そんなある日、僕はいつもの様に食事をしていた。
トーさん「チッタ、俺の飯ってある?」
チッタ「え?え?……無いよ?」
(嘘…。要るの…?)
理解するまでに数秒かかったが、ここで初めて「父への攻撃」だと理解した。
「あ…。」
トーさん「…またか。」
チッタ「……食う?」(食っている弁当を指差す)
トーさん「いい。…チッタが食え。」
さすがのチッタも、これでは飯がマズイ。
「アンタら(両親)の喧嘩に巻き込むんじゃねーよ!!」
そう思っていると、父はまた酒を飲みだす。
「なんで食事は用意しねえのに、酒は用意してんだよ!!」
「何がしてぇーんだよコイツら(両親)は!!」
こんな感じで、僕は度々「両親の喧嘩の当てつけ」に使われた。
本人達が「意図していないモノ」だったか、心のどこかで「意図したモノ」だったのか。
直接聞いた事は無いけれど、結果として僕は「疲弊」した。
僕の被害妄想かもしれないが、「争いの道具として良い様に使われた」と、少なからず傷付いたのは確かだ。
僕が「こういった扱い」を受けている中、兄は「どんな扱い」だったのか、僕は知らない。
何か仕事を与えられたのか。
完全に放置だったのか。
少なくとも、兄には兄の「溜まっていったモノ」があったのだろう。
兄の「静かな爆発」と共に、「両親の冷戦状態」は幕を下ろす。
冷戦状態の終わり。 学ばない両親。
「両親の冷戦状態」が続き、いつからか兄に変化が出てきた。
兄は両親の冷戦前、両親の掴み合いの喧嘩に「僕もドン引く様な仲裁」をしていた。
表面的に見れば、「飲んだくれた父」が「頑張っている母」に掴みかかっていたんだ。
この件に関しては、わからなくもない。
兄はいつからか、いきなり父に暴力を振るう様になった。
酒を飲んでいる父に、いきなり殴りかかる。
寝ている父の顔面に、いきなりイスをブン投げる。
ドン引くの「上」って、なんて表現したら良いんだろうね。
これにはさすがの両親も動いた。
両親は離婚し、父は実家へ送り返される事となった。
兄の働きによって、両親の冷戦状態は幕を下ろした。
そんなこんなで、我が家には「偽りの束の間の平和」が訪れた。
しかし、両親はほんっっとーーーーーに学ばない。
まーーーーた同じ事を繰り返す。
「そこまで」駆け足で行きます!!
- 母、兄、僕の3人の生活が始まる。
- 兄は大学進学。が、半年で退学。
- 退学後、就職。が、1〜2年で退職。
- 僕は高校進学。が、1年で退学。
- 退学後、少しぷらぷら。コンビニバイトを始める。
- 「それまで過ごした家」からの引っ越しが決まる。
といった感じで、僕達の引っ越しが決まる。
兄は「一緒に暮らせなくなった。」と、意味深な言葉を残して「ひとり暮らし」を始める。
詳しくはこちらの記事を読んでもらえると嬉しいです。
僕と母の新居には、父が居た。
新居には「父、母、僕」の3人で生活し、兄は家を出て、ひとり暮らしする事になったらしい。
どうやら、「僕以外の3人」で決めた事の様だ。
当然、僕は駄々をこねるのだけど、「我が家の優等生」には、そんな事は許されない。
カーさん「チッタ、いい加減にしなさい!トーさんも大変なんだから!」
両親が離婚してから少しの間、両親は距離を取った。
その間に、「あの頃の事」を忘れてしまった様だ。
何故、あの家で「上手く」いかなかったのか。
兄の「ドン引く様な暴力」が無ければ、上手くいくとでも思っているのだろうか。
とにかく「父、母、僕」の3人は、新居での新たな生活を送る。
初めは「上手くいっていた」様に見えた。
「洗濯なんかの家事」は父がやってくれていた。
初めは父も「酒の量をセーブ」していたのか、以前程荒れる事は無かった。
しかし、「こんな生活」は上手くいくわけがない。
各々が不満を募らせ、やがて「我が家」は荒れていった。
チッタの不満
「父が家に居る」というだけでも気に入らないのだけど、「僕の稼いだお金の使われ方」が気に入らない。
我が家の出費には
- 母、父、僕の生活費
- 兄の生活費
このふたつの出費があった。
この「兄の生活費」は「月に〇〇円」といった「決まった金額」ではない。
兄が要求した「金額」が生活費なのだ。
そんなモン、「母の収入」で賄えるはずもなく、足りない分は「僕の収入」から捻出される。
ツッコミ所なのだけど、我が家は」そういうシステム」なんだ。
そんな生活を送れば、僕の心は荒んでいく。
「その酒代をニーさんに回せば、俺のイミフな出費も減るだろうに…。」
父の飲酒姿を目にする度に、僕はそんな事を思う。
母が「兄の生活費」で手一杯になれば、我が家の「電気やガス」が止まる。
僕も困るので、僕の収入で「電気代やガス代」を払う。
「その酒代をニーさんに回せば、俺のイミフな出費も減るだろうに…。」
父の飲酒姿を目にする度に、僕はそんな事を思う。
荒んだ僕は、「父を無視する」事で辛うじて心を保った。
しかし、「溺愛した息子(チッタ)」からの冷たい態度は、「父の心にも負荷のかかるモノ」だったのだろう。
次第に「父の酒の量」が増え、父も「大人しく」はなくなった。
父の不満
僕の「父に対する態度」が、どの程度の負荷をかけていたのかはわからない。
父には「息子(チッタ)の態度」の他に、もうひとつの「負荷」がかかっていた。
母は新居に引っ越してからも「スナック経営」をしていた。
父も「母の仕事」には合意で新居に来たはずだ。
初めは大人しかった父だけど、「息子(チッタ)の態度」なのか、「飲酒の量」なのか、次第に不満を募らせていった。
「うらけんらぁねーよ!(ふざけんじゃぁねぇーよ)」
ほら見ろ、まぁーーーた始まった。
「もうね、なんなの?」
「わかりきった事だろうに。」
結局父は、以前と変わらない生活に戻る。
そして、ちょいちょい母に「突っかかる」様になった。
母の不満
僕は母に「なんで父を招き入れた」のかを聞いた事がある。
カーさん「だって、可哀想だし。」
母の「母性本能」なのか、「父への罪悪感」なのかはわからない。
「父が大人しかった頃」なら、それで「両親は」上手くいっていたのだろう。
しかし、父は不満を募らせ、飲酒の量が増えると、「そんな気持ち」も呆気なく消え去った様に見えた。
母からすれば、「兄の事」「家の事」「仕事の事」で手一杯だ。
そこに夫(父)が酔っ払った状態で「突っかかって」くる。
次第に両親は不仲になる。
顔を合わせれば、掴み合いの喧嘩をする日々が始まった。
ほら見ろ、まぁーーーた始まった。
「もうね、なんなの?」
「わかりきった事だろうに。」
結局我が家は、以前と変わらない生活に戻る。
両親はほんっっとーーーーーに学ばない。
まーーーーた同じ事を繰り返す。
やがて兄の精神状態が悪くなる。
兄が母と暮らす事になり、僕が家を出て「ひとり暮らし」をする事になった。
父と兄は「共存」出来ない。
父は再び実家に送り返された。
両親の不仲に巻き込まれた僕の思い。
両親の不仲なんてロクなモンじゃねえ。
「相手の事は嫌いだけど、子供の事を考えると離婚には踏み切れない。」
そんな話を聞く事がある。
大事なのは「離婚しない」選択ではなくて、「子供に両親の不仲を見せない」「子供を両親の不仲に巻き込まない」努力だと思う。
どうも「そこ」を履き違えてる「親」がいる様に思う。
両親が離婚してなくても、「両親の喧嘩を見せられる(聞かさせる)」「両親の不仲に挟まれる」のは、子供にとってキツイ。
時には「夫婦の意見の対立」もあるだろう。
そんな時は、「冷静になる時間を設ける」とか、「子供の目や耳に届かない場所に移る」とか、そういった努力は出来るんじゃないかな。と。
僕の兄は、「両親の不仲」をモロに受け取った感じがする。
「受け流し」たり、「心に留めない」様に出来なかったんじゃないかと思う。
僕の場合は「空気が読めない」事が良い感じに働いたんだと思う。
「両親の不仲」を「心に留めず」に、そのまま相手(父や母)に受け流せた。
「両親の不仲」を「自分の問題」にしないでいられたから、兄ほど心を重くする事がなかったのだと思う。
早い話が、僕にとっては「両親の不仲」は、それ程「大きな問題」じゃなかったんだ。
兄との問題が大きい過ぎたからね。
こうやって、「両親が不仲だった我が家」を思い返してみると、「僕の家族が問題だらけ」なのがよくわかる。
各々が「複雑な問題」を抱えていて、「どれかひとつ」を解決しただけでは「まともな家庭」には絶対になり得ない。
「あの頃の我が家」を修復する事は出来ない。
だけど、「問題を細分化」して、「ここでこんな行動を取っていったら、マシになるか?」とか考えるのは楽しかったりする。
僕はそんな「妄想」をたまにしている。
そんな「妄想」をしていると、「欲しい知識」も見つかったりする。
まぁ、今となっては「暇つぶし」くらいに楽しんでいる。
しかし、「両親の不仲」に巻き込まれた僕は、少なからず「傷付いた」のは間違いない。
そんな両親を見て育ち、歪んで育った自負もある。
最後に、そんな僕がもう一度言いたい。
両親の不仲なんてロクなモンじゃねえ。
なっげw
渾身の一作ね。ちょっと後半駆け足になりだしてから、よく分からない部分もあったが、前半めっちゃ分かりやすく何点か爆笑しました。
あのプロレスの画像(パワーボム??)と兵糧攻めというワードにセンスを感じたw
サムネイルの画像も進化しているね♪
てか実の母に不倫相手がどんな人か聞くのすげーなww絶対できないww
あ、真ん中くらいで別の記事に誘導するリンクが機能してなかったよ〜。
前半部で満足しちゃったのバレたかw
酒は用意するのに飯は用意しないのは今でも謎。
そしてトーさんが何を食っていたのかも謎。
ニーさんがなぜパワーボムを選んだのかも謎。
カーさんの不倫相手の話を聞いたのは、それくらい「母の不倫」を重大なモノと感じてなかったからでしょうね。
「まずいモノ」ってより「じゃあ、相手はどんな人だったのよ?」って好奇心が勝った。
ミス報告ありがとうございます。
因みにニーさんのパワーボムは、表現ではなくガチでございます。